女性起業家助産師ACOの世界をめぐる旅 ブログ

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第一話 

11月末日、父からの電話。私は友人の舞台を観に行っていた日出会ったが、いつもとは違うナニカを感じて会場を抜け出し電話を折り返した。

繋がると当時にううううううううううと唸り声!!!!え?酔っているの?なに??と頭の中に色々な妄想が駆け巡る。

トマトジュースを吐いた。ちょっと訳がわからない。そうこうしていると電話の向こうで他の青年が電話を代わった。どうやら病院にいるらしい。青年は医師のようであったが動揺しているようであった。私も状況を推測するに緊急性があること、吐いたのがトマトジュースではなく血であったことも直ぐに理解できた。

友人らに事情を説明し走って病院に向かった。

私は東京に住み、実家はそこから2時間ほどの埼玉県に住んでいる。病院までは一時間ちょい。

移動しながら母、兄と連絡をとる。

母は17年前から難病を患い現在は歩くことができず身の回りのことにも手が必要な状態である。兄弟は兄が二人いたが、途中で一人他界し現在は一人。

兄と都内で合流し、病院に向かう。電話の様子から医師も同様していたため、もし万が一最後の時であった場合は母も合わせてあげたいと思い、医療者である私は病院に行き状況を連絡すること兄は実家に行き母を車で連れて来ることにした。病院に行くと、ベッドに横たわる父がいた。なんだか顔色がよくない。輸血をしていた。先ほどの苦しんだ様子はなく、お父さん、と手を触れると少し冷たい。でも寝息をたて眠っているようで一安心し兄に連絡をする。兄と母が病院に到着すると当日の担当看護師が簡単にあったことを話してくれた。仕事中に血を吐いて病院に運ばれたようだった。詳しい検査はできていないので後日行う予定、ということでしばらくし連絡先を病院に知らせ帰宅した。

 

そこからの毎日私は、父の病院と実家を仕事前後で往復する生活が始まった。母は父が大好きで、父も頑固なオヤジであったが母を大事にしていた。なるべく父と母を合わせてるのが子供の役割だろうと思い毎日通った。病名が知らされないまま数日経過し父も話せるようになってきた。私の仕事は昼夜関係なくシフトで動く仕事である。某病院の助産師とし勤務していた。救命救急集中治療室での経験もあり父の病気も症状からわかっていた。

 

入院から10日目に胃カメラを飲むことが決定した7日目の日。回診では担当医ではなく副病院長の回診があった。病室に入ると医療用語で病名や状況を看護師医師と話してベッドに近づく。まだ精査もされていないのに私には病名がわかってしまった。患者自身も現在では直ぐに調べることもできるしプライバシーや配慮がなく、違和感を感じざるおえなかった。私の勤めている病院に移すことを父に提案した。母も我が家に預かることにした。

 

続く

 

 

近日講演会2017年11月11日

https://www.facebook.com/events/143253439644793/

 

 

参加自由よかったらきてね💫