世界を旅するノマド助産師Aco講演会 イギリス❌日本の出産・育児のちがいについて 〜イギリス在住ママさんと生電話で現地の情報を知ろう〜
第二話 父入院からの悪化
第二話 父入院からの悪化
父が吐血で入院し7日が経過しても検査は行われず、ずっと禁飲食をしていた父は瘦せ細り始めた。
診断もまだ受けていない。
胃カメラを飲む日が決まっても二度取りやめになっている。不信しかない病院。
病院を移すことを父も望み病院にも話をして手続きも済ませ移動を翌日に控えたのは入院して12日目。
また電話が鳴った。
電話の向こうでは父の声ではなく、医師の声だった。
病状が悪化し、すごく痛がっている。病院に来れますか、と。医師も若いく動揺した声であった。仕事中であったが、抜けさせてもらい病院に急ぐ。
万が一のことも考え、兄には母を連れてきてもらうことにし、私が病院に急いで駆けつけた。
移動中、私にはどういう儒教が起きているのかがなんとなくわかった。
今までの状況を振り返ると、父の病名は「胃癌」しかも、今回の痛がりは普通じゃない。恐らく胃癌が穿孔しガン細胞は腹腔内に飛び散っているであろう、と考えた。
病院に行くと、手術をする準備がされている。鎮痛剤を投与し眠っている父がそこにはいた。
まだ母が来ていないので、出頭時間を待ってもらった。
もし万が一間に合わなかったら、、、と頭をよぎった。母の大好きな父に合わせてあげたかった。
兄の押す車椅子で母が登場しストレッチャーに横たわる父の手を握り、待っています、と母が伝え手術室へ入る。
それから手術の間の8時間、待ち続けた。
その時、父と私の関係を思い出していた。
父と私の関係は一言でいうなら「変わることのない上下関係」。
父は独占欲の強い男で、私を自分の所有物だと思っている。
父のいうことは絶対、逆らうことは許されない。子供が楯を突くことなんてありえない。思い通りにならなければ逆鱗に触れた。小さい頃から厳しかった。甘えたい時も甘えさせてもらった記憶は私にはない。私はそれが嫌で18から家を出た。そして自分の力で助産師となった。
続く
11/11 恵比寿『助産師 a c o がみてきた世界の出産育児情報』セミナー情報 参加無料
『助産師 a c o がみてきた世界の出産育児情報』セミナー情報
助産師 a c o(吉村 亜希子)経歴
産科婦人科・不妊症に関わり始めて15年。
2017年3月迄、広尾 日赤医療センターに8年間勤務
その後、世界の出産事情を経験するため世界一周お産の旅にでる。
世界の出産事情や子育て環境、サポートシステム、社会背景などを直接調査し出産期に関わる人々との交流を図る。
2017年5月 Himemama LONDON日本クラブにて日英の出産の違いについての講演
6月 バルセロナ会館にて2回のセミナーと座談会
7月 フランスパリで座談会
8月 NYで男性向け性教育、ママ座談会
シンガポールにてノマド助産師の幸せセミナー、パパ・ママ座談会を開催し帰国。
9月 朝日新聞メディアラボにてパパセミナー講師を担当。
詳細
日時:11月11日 土曜
時間:19:00開会(18:30受付開始)20:00終了
20:30~懇親会 予約制 実費
場所:渋谷区地域交流センター恵比寿
参加費:無料
『渋谷区の今後の出産育児について』
渋谷区では平成33年度を目処にフィンランドの※ネウボラをモデルケースとして妊娠期から就学前までの子育て支援体制を整えていく方向で動いております。
渋谷区在住の助産師 吉村亜希子(aco)さんをお迎えして世界の出産育児情報の講演会を開催いたします。(無料)
※フィンランドでは、どの自治体にも「ネウボラ」という子育て支援を行う施設がある。ネウボラとは、フィンランド語で“ネウボ(neuvo)=アドバイス”“ラ(la)=場所”という意味であり妊娠から出産、子どもが生まれた後も基本的には6歳まで切れ目なくサポートを提供する総合的な支援サービス。
ネウボラには保健師や助産師がおり、ネウボラで支援をするための特別な教育も受けている。
主催:シブヤの未来を考える会
渋谷区議会議員ふじいたかお
一般社団法人エンジェルウェディング協会
子供も参加可能
参加希望の方はこちらのアドレスまで
aco.mamapapababy@gmail.com
女性起業家助産師ACOの世界をめぐる旅 ブログ
女性起業家助産師ACOの世界をめぐる旅 ブログ
第一話
11月末日、父からの電話。私は友人の舞台を観に行っていた日出会ったが、いつもとは違うナニカを感じて会場を抜け出し電話を折り返した。
繋がると当時にううううううううううと唸り声!!!!え?酔っているの?なに??と頭の中に色々な妄想が駆け巡る。
トマトジュースを吐いた。ちょっと訳がわからない。そうこうしていると電話の向こうで他の青年が電話を代わった。どうやら病院にいるらしい。青年は医師のようであったが動揺しているようであった。私も状況を推測するに緊急性があること、吐いたのがトマトジュースではなく血であったことも直ぐに理解できた。
友人らに事情を説明し走って病院に向かった。
私は東京に住み、実家はそこから2時間ほどの埼玉県に住んでいる。病院までは一時間ちょい。
移動しながら母、兄と連絡をとる。
母は17年前から難病を患い現在は歩くことができず身の回りのことにも手が必要な状態である。兄弟は兄が二人いたが、途中で一人他界し現在は一人。
兄と都内で合流し、病院に向かう。電話の様子から医師も同様していたため、もし万が一最後の時であった場合は母も合わせてあげたいと思い、医療者である私は病院に行き状況を連絡すること兄は実家に行き母を車で連れて来ることにした。病院に行くと、ベッドに横たわる父がいた。なんだか顔色がよくない。輸血をしていた。先ほどの苦しんだ様子はなく、お父さん、と手を触れると少し冷たい。でも寝息をたて眠っているようで一安心し兄に連絡をする。兄と母が病院に到着すると当日の担当看護師が簡単にあったことを話してくれた。仕事中に血を吐いて病院に運ばれたようだった。詳しい検査はできていないので後日行う予定、ということでしばらくし連絡先を病院に知らせ帰宅した。
そこからの毎日私は、父の病院と実家を仕事前後で往復する生活が始まった。母は父が大好きで、父も頑固なオヤジであったが母を大事にしていた。なるべく父と母を合わせてるのが子供の役割だろうと思い毎日通った。病名が知らされないまま数日経過し父も話せるようになってきた。私の仕事は昼夜関係なくシフトで動く仕事である。某病院の助産師とし勤務していた。救命救急集中治療室での経験もあり父の病気も症状からわかっていた。
入院から10日目に胃カメラを飲むことが決定した7日目の日。回診では担当医ではなく副病院長の回診があった。病室に入ると医療用語で病名や状況を看護師医師と話してベッドに近づく。まだ精査もされていないのに私には病名がわかってしまった。患者自身も現在では直ぐに調べることもできるしプライバシーや配慮がなく、違和感を感じざるおえなかった。私の勤めている病院に移すことを父に提案した。母も我が家に預かることにした。
続く
近日講演会2017年11月11日
https://www.facebook.com/events/143253439644793/
参加自由よかったらきてね💫